当tnc中小企業支援センターは多摩・武蔵野地区を発祥として、この地から営業の基盤を広げようとしている。この地は、歴史的にみても開拓心や起業の意識があり、かつ技術の集積が見られる。今回、その流れを概観してみた。
遡ること千年前より鎌倉街道が南北に走り、江戸幕府が置かれてからは直轄地として、その後背地として日用品や野菜を供給する役割を担っていた。特に江戸初期に人口の膨張に伴い困ったのは飲料水のようで、第3代将軍徳川家光に、鷹狩りの際に神田川の源流に目を付け「ここは江戸の井の頭ぞ!(^o^)/」と言わしめたのが、現吉祥寺の井の頭公園にある池である。やがて参勤交代制度によって再び人口が激増し、家光は老中工事奉行松平信綱に指揮をとらせ多摩川上流羽村から約43kmの玉川上水を人力のみで僅か11ヶ月で施工し江戸への引水に及んでいる。これは、当時の土木技術の粋を集めたプロジェクトであったといえる。
この地は尚武心も強く、甲州街道の西の入り口の警備に当たった八王子の千人同心は、幕末に新撰組の構成員を輩出している。さらに、それを率いる近藤勇や土方歳三が多摩の出身であることは、万人の知るところである。
明治に入っては自由民権の活発な地であり、また日中・太平洋戦争の戦前・戦中にあっては軍需産業の集積地でもあった。戦闘機“隼(はやぶさ)”を製作した中島飛行機の工場は、現在の武蔵野市中央公園にありこの地の中核企業であった。国分寺にある補聴器メーカーのリオンはその前身が昭和19年に設立された小林理学研究所で魚雷のソナーの研究開発から始まり、日本無線も中島飛行機に製品を供給しつつ軍需の一翼を担っていたのである。この地にも、横河電機、富士重工、シチズン、NTT、JAXA等と戦後伸長した企業・研究所は多い。
こうした、技術集積を苗床として戦後生まれた会社に、半導体製造装置の新川(現東証1部)がある。ちなみに、私の叔父(故人)は、新川で集積回路に金線をつなぐ自動織機ワイヤー・ボンディング・マシーンの開発にあたり、一時は世界シェアの90%を占めるに至った(その後に米国キューリック&ソファ社等とシェアは分散している)。そもそも、半導体においても、小平にある日立製作所(現ルネサス武蔵)でMOS型トランジスタとして誕生していることは、有名な話である。かように、この技術集積地から生まれた企業を紹介するのには、枚挙にいとまがないのである。
歴史的にみて、この東京多摩地区・武蔵野地区は江戸の町、東京帝都を支えつつ、開拓・開発・起業家精神が強いといえるのではないか。私たちtnc中小企業支援センターも、この地で生まれ育ち、飛躍を試みようとしている。昔人の息遣いや魂に触れ、それらを受け継ぎ、これからの多くのアントレプレナーや中小企業者の成長をバックアップして、共に発展できることを願う次第である。
文責:幸田 敏夫・tnc会員 小平市在住メンバー(2012.6.26)